壷屋焼(やちむん) ~壺屋焼三百年の歴史と荒焼~
琉球王朝が海外と盛んに交易をしていた14世紀(500年前)から16世紀のころ中国や南方諸国の陶磁器が輸入され、南蛮焼きの技術が伝えられたいわれています。
17世紀(300年前)の薩摩治政下で海外貿易が下火になると、王府は作陶技術の向上や各地に散在する窯場を統合し産業の振興を図りました。
それが現在の壺屋(壺屋焼)の源となったのです。
沖縄の焼物やちむん(壺屋焼)は、荒焼と上焼とに分けれれます。荒焼は無釉焼締めで、主に味噌壷、酒壷、水ガメ厨子、素焼きシーサー、焼締めシーサーなどその風格豊かな造形美、力強さは長い伝統に培われた技と土と火によって生み出されるのです。
上焼は釉薬を施したお皿やカップ・カラカラなど食器や花器といった比較的小さな物が主流です。
又、赤絵は沖縄独特の絵付で壺屋ならではの味わいのある焼物です。
最近では、結婚式(リゾートウェディング)の引き出物や、内祝い、結婚祝いギフトなどにやちむん(壺屋焼)を選ぶお客様も増えております。また、新築祝い、開店祝い、事務所開きの贈り物や、観光スポットなどの出入り口に沖縄の守り神を設置するところも増えており、沖縄シーサーは根強い人気があります。
沖縄の主な焼き物(やちむん)、陶器
食器、シーサー、酒甕(サキガーミ:酒壷)、水甕、カラカラ、抱瓶(だちびん)、嘉瓶(ゆしびん)など
シーサーについて
沖縄では獅子のことをシーサーと呼称し、古くから屋根などに置き魔除けとして置かれていた。艮(東北)に向ければ暴風の災難を除き午(南)に向ければ火難の火伏せとなるといわれている。
現代は瓦屋根は少なく、コンクリートの屋根や門柱の上に置かれているが、装飾品として玄関の置物として愛用する方も多いです。シーサーの置き方、設置方法
当地でのシーサーの置き方は、開口が勇ましいことから「雄」(右)、閉口が「雌」(左)とされています。インパクトのあるシーサー、やさしい顔のシーサー、小さくてかわいいシーサー、親子シーサーなど種類もさまざま、素敵なシーサーを探すには下記を参考にしてみて下さい
シーサーの種類
シーサーのギフト包装について
シーサーは、30cmほどの大きさまでギフト包装可能ですが、作品の形によって、箱が2つになる場合がございます。また、すべて包装紙で包む事ができない場合は、包装紙を掛けるだけの簡易包装となる場合がございますので気になる方はお気軽にお問い合わせください。
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新垣栄得 幼い頃から陶工人の祖父の手伝いをし、30代からは叔父と共に首里にて花瓶やシーサーなどを昇り窯で焼いていた。 昭和61年、壺屋通りに「やちむん家」を設立。 |
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新垣キク 三男二女の子供を育てながら夫とともにロクロを使い、一輪差しの小物から酒壺などの中物を専門にしている。 「やちむん家」の縁の下の力持ちにして、数少ない女陶工人の一人である。 |
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新垣栄一 15歳の時、故・小橋川永仁に入門。小橋川昇のもとで上焼を学び9年後独立。 現在は、父と共に「やちむん家」を支え壺屋の組合員の一員として活躍中。 |
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新垣得二 23歳から父、兄のもとで見習いとしてシーサーを主に焼いており、威嚇シーサー、親子シーサーなどユニークな物を作っている。 現在はロクロを習い、大物の壺にも挑戦中。 新垣得二シーサー |
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新垣光雄 学生時代から父、兄の手伝いをしていた。現在はおもに迫力手びねりシーサーや岩乗りシーサー、シーサー表札、シーサーとのぼり龍などを手がけシーサー職人としては県内外からも大人気。 新垣光雄のシーサー |
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